布団の中から窓を見る。朝なのに暗い。雨か、残念。全く何の根拠も無いが、ある確信が芽生えていた。一度もうまくいったこともないのに「絶対的に」うまくやれる自信がある。今日中に試してみたいが、生憎の雨。でもこの確信を早く誰かに伝えたい。普段は起こされるまでグズグズしているのだが、その朝は起こされる前に寝床を出た。台所に行くと母が朝食の準備をしている。一人で起きてきた自分にちょっと驚いている母に言った。
「ママ、自転車乗れるようになったよ。」
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子供の頃住んでいた三棟建ての県営アパート。三つの棟は、1棟の北に2棟、2棟の北に3棟、と平行して建てられてあった。1棟と2棟の間はわりと広い広場になっていて、小学生たちがキャッチボールやドッジボールで遊んでいた。2棟と3棟の間には、ブランコや砂場があり、我々幼稚園児の溜まり場であった。団地の中には、各棟の前に道路があり横でも繋がっているので、小さいながら周回コースがあった。小学生達は「マイ自転車」に乗って、周回コースを走っている。小学生と幼稚園児は普段は別々に遊んでいるが、時々小学生のお兄ちゃんが声を掛けて来て一緒に遊んでくれる時もあった。
「自転車競走するけど、一緒にする?」
ある時、いつも私を可愛がってくれるお兄ちゃんから誘われた。「うん」私は意気揚々とスタートラインに「マイ自転車」を並べる。1棟前には、大から小まで10台ほどの自転車が集合していた。自分のが一番小さかったが、幼稚園児にして楽天的自信家な私は、ヤルキマンマンで位置に着いた。
「ヨーイ。ドン!」
各車一斉にスタート。私以外の自転車はあっという間に飛び出し、第一コーナーを抜け、たちまち視界から見えなくなった。当たり前である。わたしの「マイ自転車」は三輪車だったからである。それでも懸命にキコキコ漕ぎ続け、周回して戻ってきた時は、誰も居なかった。「自転車競走」はとっくに終わり、皆はまた別のトコに遊びに行ったのであろう。私はとってもクラ〜イ気持ちで我が家へ戻り、父に言った。
「パパ、自転車買って。」
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ある昼、父が会社のバンに乗って家に帰ってきた。車の後ろには、待望の「ホンモノ」の赤い16インチ自転車が積んであった。「ありがとう、パパ」お礼も早々に、さっそく自転車に跨る。視界が高く見晴らしがいい。漕ぎ出してみる。早い。三輪車とは異次元のスピードだ。住んでいた3棟前を快適に直進し、2棟へ向かう左カーブにさしかかる。ハンドルを左に切る。
アレッ、変だぞ。
曲がるのと反対方向に体が押し出され、しかも「ガリガリガリ!!」と右後方から異様な音がする。右に曲がると今度は左後方から異音がする。自転車の後輪に変な「モノ」が着いている。いわゆる「補助車」だった。
異音の発生源はこれだったのか!
「補助輪が無いと真っ直ぐも走れない」現実に、仕方なく補助輪付きで自転車を乗り回していたが、カーブを曲がる時の不愉快さに我慢できず(補助輪なしはカッコ良く曲がって行くのに・・・)ついに、補助輪をはずしてもらったが、現実はかなり厳しい。走り出してはヨロヨロ、フラフラ。スタートしては直ぐ止まりの繰り返しで、5mも走れない。親に後を支えて押してもらったり、小学生のお兄ちゃんに後に乗ってもらい倒れそうになったら足で支えてもらったり。しかし、「なかなか」と言うより「全然」乗れる気配すらない。遠出をしたくても、自転車で行けないので楽しくない。『やっぱり補助車付けようかな・・・』
幼稚園児にして人生初めての挫折を感じた。
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挫折から予感までどのくらい日数が経ったか覚えていない。しかし、当日は雲ひとつ無い快晴だったことははっきり記憶にある。訝る母を無理やり外に連れ出し、母の前で自転車に跨った。左足で地面を支え、右足にグッと力を込める。自転車はゆっくりではあるがスムーズに動き出す。だんだんスピードが増す。
大丈夫だ。いける。
あの「カーブ」が見えてきた。カーブにさしかかると自然に体が傾く。自転車も一緒に傾き、旋回を始める。異音も違和感も全くない、人と自転車が一体となって作り出す浮遊感。重力と遠心力と摩擦力。絶妙な力学バランス。無限に感じる一瞬の視界の先にカーブの終わりが光る。
その時、僕は風を感じた。