「 Whatever is, is right. 」
メディア5 CEO 上野英理也
私の母校、西南学院高等学校から原稿の依頼が来ました。
年一回発行の会報誌に載せたいということだったので、2泊3日不眠不休で筆をつづりました。
本日推敲されたものがメールにて送られてきましたが、なんと4分の1以下に縮められていました。
母校愛も一気に醒めそうになりましたが、気を取り直しこちらのコラムに
全文を掲載させて頂く事にしました。一般の方には判り難い用語もありますが、
ちょっとトラッドな「ミッションスクール」の雰囲気をお楽しみください。
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私たちの学年はG組まであったので、全部で300人余。300人の詰襟学ラン男子集団が入ると、
そんなに広くないチャペルに青春の香りが充満する。
1921年竣工のこの建物、外観は赤レンガ、内部は白漆喰に黒い木造のコントラストが
禁欲的雰囲気をかもし出す。「禁欲」とは程遠い盛りのついた少年たちもチャペルに着席し、
内海敬三先生が奏楽を奏で出すと喧騒が潮を引くように遠ざかり、静寂になるから不思議だ。
入学前は「キリスト教なんてアーメン・ソーメン・冷やソーメン」と言っていたに違いない輩も、
清水実先生の祝祷では「アーメン」と声を揃える。
人が集まるところが教会なので建物なんていらない、
と考えるのもシンプルで共感できるが、人が祈りを重ねる場所には力がある。
当時のチャペルには受験勉強に疲れた少年の心を癒し、引き付ける力があった。
*チャペル http://www.seinan-gu.ac.jp/museum/floor/index.html
“Remember now thy Creator in the days of thy youth.”
これは私が中学生のとき、小川泰助先生から教わった聖書の句である。
西南学院高校に入学し初めてチャペルで目にしたのがステージ横の
「あなたの若き日にあなたの作り主を覚えよ。」の言葉であった。
両方比較すると英語の方がかなり強烈である。「覚えよって頭の片隅に置いとく〜?」
と思ったら大間違い。“Remember Now!”「今ここで知れ!」とは、
待った無しの決断を迫っているのである。マッタク聖書は強引である。
待った無しのの決断と言えば、自分がバプテスマを受けた時の事を思い出す。
私がバプテスマを受けたのは小学校6年のクリスマスである。
牧師である祖父河野博範(かわのひろのり)から呼び出されいきなり
「オマエ、今度バプテスマ受けえ。」である。伝道週間最後おきまりの
「決心された方は、静かに手をお挙げください。」での意思確認などなく、命令である。
余計な知恵が付く前の無垢な少年に無理やり?バプテスマを受けさせたのである。
受洗前の「信仰告白」で「おじいちゃんが受けろと言ったので受けます。」と正直に言ったら
教会中大爆笑であった。強引な伝道者である。
祖父ヒロノリはお情けで西南に入学した。今で言う「コネ入学」である。
曽祖父は学院設立のお手伝いをしていたのだが、
「ちなみにオマエんちの息子はどうしとるかね?」とドージャー先生。
「中学にも入れんで宮崎でブラブラしとります。」「連れて来なさい。」
ドージャー先生は祖父を見るなり「Bright!」この一言で入学が許されたのである。
栄えある学院の一期生である。入試を受けたという話も聞かないので
「コネ」どころか「裏口一期生」である。
後年、田中遵聖牧師の長男で直木賞作家になった田中小実昌氏が少年の頃、
祖父の家に居候していた時、コミさんは西南中学を受験し不合格になった。
不合格を知ったヒロノリは「なして、コミマサば落としたとか!」と事務室に怒鳴り込み
不合格を取り消させたとか。公正な試験結果に対する「不当介入」である。
C.K.ドージャー先生のお写真は何度見てもヒロノリにソックリである。
丸めがねの奥の鋭い眼光、強情そうにグッと奥歯を食いしばった顎、頑丈で分厚い胸板。
両者並べると驚くほど良く似ている。強引な伝道者は容姿も似てくるのである。
しかしながら、ヒロノリは牧師となり多くの人をキリストに導き、
コミマサは日本を代表するキリスト教作家となりキリスト教を身近な言葉で一般読者に広めた。
ちょっと待て、この話何処かで聞いたことがある。
そう、イエス様の「私について来なさい。」である。
「お葬式がありますから・・・」「死人のことは死人に任せなさい。」「そ、そんな。」
「すべてを捨ててついてきなさい。」イエス様も弟子たちの意思確認なんてしていないではないか。
その後の弟子たちのめざましい働きを考えると、めぼしい人は強引に引き込む必要があるのかも
知れない。引き込まれるほうは、嬉しいような困ったような、少し複雑ではあるが。
*ドージャー先生 http://www.seinan-gu.ac.jp/daigaku/kengaku/ck.html
“Tell Seinan, to be true to Christ.”
これが「西南よ、基督に忠実なれ」のオリジナルと聞いている。
直訳すると「基督に忠実であれ、と西南に伝えてくれ。」というドージャー先生から
西南への伝言である。アメリカに戻られたドージャー先生を訪ねた学院の方が帰り際、
先生から託された遺言である。素直に解釈するなら、「西南」とは自分が西南を去った後
「学院を担う運営陣」のことで、「忠実なれ」とは、当時の「日曜日問題」に象徴される、
回りの時流に流されること無く、キリスト者としての振舞いを「頑固」に貫いて欲しい、
と願う祈りであろう。
この言葉を彫った銘版は現在、学院本部1階にひっそりと置いてある。
元々は干隈の神学校横小高い丘にあった研修寮「山の家」の暖炉にはめ込んであった。
河野博範が主催する英語塾「開心塾(かいしんじゅく)」は毎年ここで夏季鍛煉会を行っていた。
毎朝の礼拝でヒロノリは暖炉を背にして1時間以上説教するので、
生徒からはイヤでも銘版が目に入る。もっとも「基督はキリストと呼ぶらしい」と知ったのは
しばらく後のことになるのだが。
「開心塾山の家」は福岡市内から集まった中高生100名超、
顧問小川泰助先生・塾頭大崎完治先生を筆頭とした講師陣30名余の大所帯であった。
同じ釜の飯を食い朝から晩まで文字通り英語漬けであった。そんな厳しい日々を潤すのが
食後の憩いの時間「The Table Speech」である。塾生や講師陣が日替わりで、
話・歌・一発芸などを披露する。そんな中定番中の定番は「学校別校歌披露」である。
在籍中又は卒業した同窓生が全員厨房の前に並んで学校別に校歌を競う。
数ある学校の中で一番の勢力を誇るのはもちろん「西南学院」である。
塾長ヒロノリを始めとする学院同窓生が肩を組んで「きしをあろう〜♪」と歌う様は、
お隣の「みくに〜の〜ために〜♪」を遥かに凌いだ。
公立高校受験失敗を引きずって悶々とした一学期を過ごしていた私だが、
学院の一員として生まれて初めて一期生ヒロノリと一緒に肩を組んで学院歌を歌った感動は
今も忘れがたい。今年の正月、53卒の同窓会で久しぶりに肩を組んで学院歌を歌った。
総勢50名余の参加であったが全員に共通することは、高校時代西南で過ごしたことに誇りを持ち、
今も西南が好き、と言うことだ。キリスト者としての第一義的振舞いが、
「伝道する」ことであるならば、私たちは西南によってみごとに伝道されたのである。
*学院歌 http://www.seinan-gu.ac.jp/daigaku/kouka/kouka.html
“The fear of the Lord is the beginning of wisdom.”
「主を畏れることは知恵の始まりである。」これも山の家で習った言葉である。
おそらく本稿の依頼が来た理由は、私が代表を務める会社が上場を果たし、
一般的に言えば私の社会的ステータスが上がったからなのだろう。
しかし自分はそれ程高い意識を持って会社を作ったのでなく、というより作りたくなかったが、
当時のお客さんに強く背中を押され止む無く作ったのである。
お金で苦労するのは明らかなので当初は「できません。」と頑なに断った。
「どうして?」「運転資金が足りません。」「じゃ、最初に発注してあげよう。」
そこまで融通されて断る理由を見つけることができなかった。強引なお客さんである。
案の定、経営が軌道に乗るまで3年かかった。資金繰りが心配で夜中目が覚めることも
しばしばであった。「貸し渋り対策融資」で首が繋がったこともあった。
2000年、外部資本を入れ上場するため新規事業を開始した。が事業開始後3ヶ月にして
目論見が見事に外れた。外の血を入れた以上、止めるわけにはいかない。
2・3年で上場する予定がどんどん過ぎていく。苛立ちにマジ切れそうな時、
頭をよぎるのはヒロノリの言葉であった。
「オマエは、天狗じゃ!」5段階評価で、「5」が5つ、「3」が1つ、
あと全部「4」の通知表を祖父に見せた時の「お褒めの言葉」である。
その時既に祖父は、私の「傲慢」な性質を見抜いていた。
私には「聞く耳」を持つために多くの「挫折」が必要だったのである。
主な挫折を並べると、公立高校受験失敗、大学時代留年3回、会社勤め時代同僚先輩による
昇進妬み追い落としで転職2回等々。そんな時こそ、周りの人のアドバイスを「主の言葉」と
考えるのである。外野と厭わず「主」と思えば謙虚に聞くことができる。
当初の事業計画がうまくいかず、「主の言葉」に従って試行錯誤を繰り返したことが
昨年の上場に繋がった、と今になれば冷静に振り返ることができる。
上場はゴールでなく通過点である。人様のお金を用いて利益を出さなければいけない。
もし、第三の僕(しもべ)の如く、預かったお金を土にでも埋めようものなら、
株主というご主人様から即クビである。でも誰でもが味わうことのできない緊張感の中に
身を置くのもまた良しである。もし失敗したとしてクビになっても命までは取られない。
じたばたしたところで、人智の及ぼす範囲は狭いのである。
「言われたところに網を下ろす」のみである。
思えば「みくにの」高校に行かず、西南学院に入学したことが私の人生の大きな転換点になっている。
それが私にとっての2回目のバプテスマだったのかも知れない。
1回目も2回目も自分の意思に沿っていたとは言い難いが、
ドージャー先生がヒロノリに目を付けたとき、今日の自分の礎がすでに備わっていたと感謝する。
もちろん私以外にも多くの人が影響を受けたであろうから、一粒のからし種の威力は偉大である。
この原稿を書いている時、グソク次男西南不合格の報を聞く。
同窓生加点では到底手が届かないと判ってはいたが、親のたっての願いで受験をさせたが
奇跡は起きなかった。我が家の西南の系譜もここまでか。いやまだグソク三男が控えている。
中学は落選したがあと一年猛勉強して高校から何とか入って欲しい。
私が今感じる感謝の気持ちを息子にも伝えたい。息子と肩を組んで一緒に学院歌を歌いたい。
天国にいるヒロノリからドージャー先生に是非とも取り次いで欲しいものである。
「在るものに良からざる無し。」ここが教育の原点であると思う。
特に「若者をキリスト者に導く」使命を伴ったミッションスクールには、
原理原則には厳格であるがアプローチ手法には寛大さが必要なのではなかろうか。
すべての若者に可能性があるのである。
西南がこれからも、キリストに連なる感受性豊かな若い人材を輩出されることを願って、
筆を置く。文章中不適切な文言があったら、七度の七十倍お許しを請う次第である。
February 22, 2007