MediaFiveCo.-TECH 夢に近づくためにできることから始めてる。
Eriya hour
「音楽とバイクと恋」

メディア5 CEO 上野英理也

4月のJAMは、所要で鹿児島に行ったため出席できず申し訳ありませんでした。
大学時代お世話になった先生の、没後3周年記念会が催されたのでそちらの方に
参加させて頂きました。

先生は、鹿児島短期大学(現鹿児島国際大学短期大学)音楽部のフルートの先生でした。

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<音楽>

私は鹿児島で7年間大学生活を過ごしました。普通の人が4年で終えるところを
3年も余計に行かせてもらえた事は、今となれば貴重な体験です。

「7年もなんしよったとや〜?」と問われ「笛吹きよったったい!」と答えると
「はあ〜?ふえ〜?なんやそれ?」と会話が続きません。
笛とは「リコーダー」のことです。と言ったところで「リコーダーって小学校で
ピ〜ヒャラしたヤツやろ。」とや揶揄する輩が多く面倒くさいのでそれ以上説明しません。
実際自分も小中学生のときはリコーダーが楽器だなんて思ってもいませんでしたから。

リコーダーについてはこちらをご覧ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC

大学に入ったら念願適ってバスケットボール部に入るつもりでした。(団体競技禁止by母)
新入生向け音楽系サークル合同演奏会に暇つぶしに行ってみたら、見慣れたおもちゃ?が
それまで全然聞いたことの無い音色を出しているのに愕然とし、バスケットなんか
吹っ飛んでしまい翌日にはそのサークルに入部していました。

サークルに入ってからは、昼起きて(朝起きんかい)部室行って自主練習(授業に出んかい)
夕方から部活動でまた練習。練習終わったら、1つ年上で同時に入部した「山下」の部屋で
夜中までバロック音楽鑑賞三昧。夏までにはリコーダーの腕前と古楽の知識は
相当なモノになってました。(前期試験の結果も相当なものでした・・・)

集団型無目的快楽活動を「サークル的」とよく言いますが、そんなサークルの中で目的を
明確に持っていると、とても浮いた存在になってしまいます。1年間がむしゃらに練習し
ふと周りを見回すと自分と山下以外誰もいない、そんな状態になり退部することにしました。
しかしながらリコーダー演奏は続けたいのでアンサンブルを立ち上げることにしたのですが、
「指導者いない」、「楽器(アンサンブル用リコーダーセット総額30万)ない」(買えない)、
「練習場所ない」のナイナイづくし。

そんなお先真っ暗な時、サークル同期の5回生が紹介してくれたのが「先生」でした。
先生は私より11歳年上で当時30才前後の小さめの体。そのざっくばらんな性格と
同じように散乱した部屋には何気にチェンバロも置いてあり私と山下はニンマリ。
こうして先生に楽器買わせ(買って頂き)場所提供させ(して頂き)ようやく
「鹿児島リコーダーアンサンブル」が無事発足しました。

昭和54年から足掛け6年間活動し、半年に一回の定期演奏会や県内の小学校・中学校
等々で演奏させて頂きました。鹿児島ではちょっと知られたグループでした。

<バイク>

先生の足は「バイク」。しかも小さい体で大型バイク。でもバイクに跨って
同時に両足を着ける程足が長くないので、シートでお尻をすばやくズラして
クラッチとブレーキを踏みかえる様は結構笑えます。しか〜し、いくらせせら笑っても
先生は「大型自動二輪免許保持者様」&「ナナハン所有者様」。うらやまし〜い。

「バイクの免許バ取るけん、3万送って。」親のすねをかじり自動車学校に通い
普通は1回で受かる学科試験をなめて受けて2回目にやっと合格。その足でバイク屋に行き
「GTサンパチ」をローン組んで購入しました。

1年後「合格率3%の限定解除試験」に13回挑戦し、試験官から「暴走族になるなよ。」
といわれ念願叶い「大型自動二輪免許保持者様」の仲間入り。合格前に既に用意してた
「GSナナハンS」を晴れて(合法的に)乗り回すことができるようになりました。

大型バイク&ツーリングについてはこちらをご覧ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/slowlifeliker

鹿児島は、北に霧島連山、南に薩摩半島、東に大隈半島があり
まさにツーリングのメッカです。
市内からほんの一時間も行けば適度にワインディングした道が沢山あります。
先生と私は毎週のように出かけていました。時には土曜日のリコーダーの練習後
霧島えびの高原にある「温泉の小川」に出かけて温泉に浸かることもありました。
満天の星を見ながら自然の露天風呂の入るのは最高でしたね。

私はその後かの有名な「カタナ」に10年ほど乗ってましたが、なぜかお腹がタンクに
当たって運転に支障をきたす様になったので、前傾は止めてアメリカンに転向しました。
現在はスズキ「イントルーダー」を所有しています。

バイクでもツーリングは、快晴で、暑くも無く寒くも無い季節は最高です。
ここ5年ほどシートを被ったままなので復活させたいのですが「車検取っても、
どうせ年に一週間くらいしか乗らんやろ。」と山の神はおっしゃいます。
その通りです。夏は暑いし冬は寒いし雨には濡れるし・・・。

何時の日か、年に一週間だけのために、
「アメリカンチョッパー」みたいなハーレーを買いたいです。

<恋>

先生は「短期大学」の先生。短期大学と言えば当時は殆どが女学校。(表現が古!)
そう、先生の学校も女子学生ばかりでした。
先生のフルートゼミは開講されてあまり間が無く
1期生2名、2期生4名、3期生1名のこじんまりしたゼミだったところに、
4期生が10名も入って来てゼミ室は一気に華やかになりました。

4期生の中に長い黒髪で日本人形のような涼しい眼をした奥ゆかしい女の子がいました。
今思えば「ラストサムライ」の「小雪」ソックリ。
先生の演奏会を一緒に手伝ったり、自分たちの演奏会を手伝ってもらったりと
アンサンブルメンバー(私)とゼミ生(小雪)は少しずつ仲良くなっていきました。

そして私と小雪はめでたしめでたし、といきたいところでしたが
そうはいかんかったとです。
4期生は数が多いので、中には仕切りたがる子(往々にして本人は気づいていない)もいて
その仕切り役の女の子が無邪気にも
「上野さんイイ!」と周りに言ってしまってサア大変。
奥ゆかしい小雪は4期生の輪を乱すことを好まず、
先生も「一人に肩入れしたらアカン!」と無茶をおっしゃるし。
お互い気持ちを秘めたまま時が流れて行くのでした。

運命は皮肉なもので、先生が亡くなられてから、お葬式や記念コンサート等々で
年に2回はムカシのゼミ生と定期的に会えるようになりました。
自分も当時の女の子たちも20年以上の歳月を経て年は取っているはずなのですけど
会うと一気に20年前に戻ることができます。

小雪も一児の母になりフルートやピアノの先生もし、昔同様とても魅力的でした。
お互い大人ですから昔の感情に引きずられることはもちろんありませんが、
小雪の音楽に対する姿勢が20年間変わっていないのには感服しました。
自分もやろうと思えばいつでもリコーダーの練習ができるのに、
鹿児島に行く前日やっと埃の積もったケースを開けてニワカ練習したのが恥ずかしいです。

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先生のお陰で(せいで)7年間の充実した学生生活を送ることができ
また先生が亡くなられたお陰で(申し訳ありませんけど)昔の仲間たちに再会でき
忘れかけていたパッションを思い出す機会を与えて頂いた事に感謝したいと思います。
人それぞれ忘れがたい思い出を持っているように、私の原風景の半分が鹿児島にあります。

つぎまたJAMをサボって行った時は「シャチョーは命の洗濯にいったバイね。」
と大目に見てください。

オシマイ。

Last Update : 2006/05/18
 
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