私はいつもメールの送信ボタンを押すときに、本当に押していいものだろうかと自問自答することがある。みなさんも、こういった感覚におちいることがあると思う。実際には経験は無いのだが、恋文を郵便ポストに入れるときのためらいに似た感覚を想像してもらいたい。私の気持ちが、書いた内容が、ストレートに受け取ってもらえるだろうか?誤解は生じないだろうか?そういった感覚である。
今から12・3年ほど前『朝のガスパール』という新聞小説がある朝刊で始まった。読者が小説に参加できるという触れ込みで、小説を読んだ感想や、ストーリー展開の希望などを封書やあらかじめ設けられた電子会議室で投稿できることになった。作家は読者の意見を反映しながら、試行錯誤して小説という虚構の世界を進めていくことになったのである。
その当時、現在のようなネット環境も発達しておらず、朝刊の内容から今後のストーリー展開、しまいには文学論までもが、パソコン通信を用いた電子会議室内で議論されることになったわけだが・・・。
はじめこそ、穏やかな議論が展開していったのだが、そこは顔の見えない現実と虚構の間。自分の発言に責任が無いものだから、弱いものほどよく吼える。挙句の果てには、「もうやめちまえ!」「作家としての底が見えた」などと、罵倒の連続。ああ無情。虚構の世界だからこそ、言論の自由が許されるのではあるが、パソコン通信の会議室といったコミュニティーのなかでは、最低限の礼儀と、相手を思いやる気持ちが欠如すると、その存在が成立しなくなるという状況を垣間見たような気がした。
最終的に、百戦錬磨の形容が似合うその作家は、そういう事態も構想の段階で想定していたかのように、そういった輩を虚構世界である小説のなかで、登場人物として、つるし上げ、「この世に本が存在する限り、末代までの恥じよ」と痛快な仕返しをおこなったのである。ペンは剣より強しという信念のもとに、逓増しているパソコンユーザーに対して、問題点を投げかけた作品だったのではないだろうか。
ビジネスにおいてもプライベートにおいても活躍している現在のネット環境を考えると、直接会って商談するのと同様に、電子メールでの以心伝心が非常に重要になっている。目的に応じた効果的な電子メールを使うことは大事であるが、送信ボタンを押す前に、もう一度、受信者の立場にたって、ためらう気持ちを大切にしたいものである。