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Monthry letter
温故知新・・・・・・・・・By Ueno

 私事で恐縮ですが、私は小学校のPTA会長です。今年小学校が130周年を迎えるので当時の状況を調べてみました。

130年前と言えば、西暦1873年明治6年、明治維新の真っ只中です。文部省が出来たのが明治4年7月。学校ができる基本と成る指針「学制」が発布されたのが明治5年8月。発布後たった8ヵ月での設立はまさにスピードと言えます。もっとも明治8年までには全国2万6千もの小学校が出来たので、新教育に対する期待がいかに大きかったかが分かります。
「そげなもん、国がやる気になればバンバン作れろうもん。」
今でこそ「教育は無料」が当たり前の感覚ですが、当時は「受益者負担」が原則で小学校といえども無料ではなく、月々50銭(5万円くらいの感覚か)の高額なものでした。しかしそんな高額の月謝は大地主の子弟くらいしか払えません。

 そこで学校運営の経費は「子供のあるナシに関わらず各戸に割り当て、貧富に応じて負担」していたのです。小学校を建てるにしても国からの補助は『すずめの涙』でしょうから、村民こぞっておらが息子娘たちの為にお金を出し合ったであろうことは想像に難くありません。
「なしてそげんのぼせるとな。」学制序文はこのように始まります。
「人々自ら其身を立て其産を治め其業を昌にして以て其生を遂るゆえんのものは・・」分かりにくいので要約すると、「人が立身出世し、悔いのない生涯を送るためには学問を修めなければならない」平たく言うと、それまでの階級に関係なく誰でも学問を修めて総理大臣になれる可能性がある、ということです。(なりたいかは別として)

 調べていて私は少々驚きました。当時の状況を考えれば、「国の為に」とか「社会の為に」とかいう言葉が出てくるだろうと予期していたのですが、学制にははっきりと「自分の為に勉強しなさい。そうすれば何にでもなれますよ。」と謳われているのです。中学校3年間は勉強するも高校で失速しやっとこさ大学に潜り込んだのは良いが3回も落第を繰り返した後消去法でこの世界に入った自分には、ブスブスと言葉が突き刺さります。恐るべし明治人。そういえば私が18歳の時他界した明治生まれの祖父も厳しゅうございました。些細な(と自分は思っている)ことでも、「くそたれ(意味はわかります)、がんたれ(眼つきが悪いということでしょうか)、ひょうろく玉(もう意味不明です)、天狗になるな」と叱られていました。胸に手を当て振り返れば、思い上がった時が転落の始まりでした。
閑話休題、人生70年と考えればあと30年余り、小学校なら5回行けるくらいまだまだ時間があるので、サボった分をこれから取り返すべく勉強します。

Last Update : 2003/07/18
 
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