今年は、例年になく暑さの厳しい夏になったが、比較的子供と外で遊ぶことが多かった気がする。
どちらかといえば、インドアな僕にとっては、我が子の笑顔の力を借りたとしても、酷暑の休日に、公園で遊ぶなんて考えられなかった。
「パパ、公園に行こうよ。」
朝食をすませ、テレビを見ている僕に向かって、背後から下の子二人が走ってきた。
「外は暑かろうもん。今、スポーツニュースやけん、ちょっと黙っとけ。」画面には、昨夜のオールスター第一戦で、代打の前田が、ホームランを打ち、静かにゆっくりグランドを駆ける場面が映っていた。球場全体が祝福する雰囲気が、感動を誘っていた。
「この1番の人、この前ドームで見たよね。あの時はぜんぜん打たんかったけど。昨日ホームラン打ったと?」先日、広島カープとホークスの試合に連れて行った息子のリュウが、スイングの真似ごとをしながら言った。僕は、この前田のホームランの影には、足が痛くても、黙々と練習をするような努力があるということをリュウに伝えたかったが、テレビに夢中なふりをして、何も言わなかった。
「野球でも、教えてやるか!」と閃いた僕は、身支度を整えると、一番上のお姉ちゃんが小さかったときに買ったカラーバットとボールを持って、下の二人と近所の公園へ出かけた。公園に向かう途中、僕も小学生の頃に、父と野球をやっていたことを思い出した。
僕の父は、自動車の修理工場をやっていた。いつも夜遅くまで、油にまみれながら、大型トラックや、ブルドーザーの下に潜り、黙々と修理をするような人だった。溶接のような細かい作業に集中すると、なぜかペロッと舌を出しながら仕事をしていたが、滑稽な姿とは裏腹に周りの者を寄せ付けない威厳があった。夏休みにどこかに連れて行ってもらったという覚えはないが、ラジオ体操が終わった後、地域の高学年の子供達にソフトボールの指導をしながら、小さな僕の相手もしてくれた。
ある夕方、珍しく早く帰ってきた父は、作業着のままキャッチボールをしようと言い出した。父と遊ぶのを楽しみにしていた僕は、小躍りしながら、倉庫から二つのグローブを持ち出し、互いにボールを投げ始めた。辺りは次第に薄暗くなった。
「亮二もずいぶん球が速くなったなあ。思いっきりストライクを投げてみろ。」と父が言うと地面にベースとバッターボックスを描き、しゃがんで構えた。
友達と野球をする時に、ピッチャーを任されることが多かった僕は、得意げにストライクを投げ込んでいった。日が暮れて、白い球しか見えなくなると、父は最期の三球だと告げた。
一球目、僕は、ど真ん中を目がけて投げた。
「ストライク!王選手空振りです。」父が実況を交えたことで、僕は、本物のマウンドに立っているかのように錯覚した。
二球目、僕は、覚えたばかりのカーブもどきの球を投げた。外角からインローにうまく落ちた。父は一瞬ためらったが、右手を上げた。
「ツーストライク!王選手、手がでません!」僕は、暗闇の中に王選手が一本足で立っているかのような感覚に陥った。誰かは思い出せないが、150kmを投げる速球派のプロ野球選手になりきっていた。
「さあ追い込まれました。決め球は何か。」心臓が止まるような感覚の後、一呼吸おくと父のグローブをめがけ自慢の剛速球を投げ込んだ。真ん中低めにズバット決まった。
「ストライック!三振!試合終了。」

今年の夏も終わりを迎えるとリュウも公園練習の成果が現れ、バッティングだけは幾らか上達してきた。ある日、公園から帰宅し風呂に入りながら、いつものように今日のホームランは大きかったなどと野球談話で盛り上がった。日頃から僕と同じで些か協調性に欠けるリュウには、何かスポーツをやって欲しいと思っていたので、ここぞとばかりに野球が楽しいなら野球チームに入ってはどうかと勧めた。しかし、野球は好きだけど、野球チームには入りたくないという返事だった。正直がっかりした。
風呂から上がり妻にこのことを話すと、笑いながら言った。「あんたも小学生の時、野球チーム入ったけど、すぐ辞めたらしいやん。お母さんに聞いたよ。亮二は小さいときからやっせんかったって。(弱虫だったって。)」すっかり忘れていたが、僕も、リュウと同じで、父や友達と野球をするのは好きだったが、引っ込み思案で大きな集団に入っていくことが怖かったのだ。リュウに落胆した自分が恥ずかしくなるとともに、僕と遊ぶことを楽しみにしてくれているリュウの気持ちが嬉しかった。
「パパ、公園に行こうよ。」
今日も下の二人が駆け寄ってきた。気温も下がり陽も傾き始めた午後、いつもの公園に三人で向かった。僕はゴムボールを投げ、二人は交互にカラーバットで打ち、自分達で描いたベースを駆け回った。そろそろ疲れてきた僕は、最後のバッターであることを告げると、リュウが左打席に入り、ホークスの松中選手のように少し肘を上げて構えた。
「さあて、少し速く投げるけんね。パパが打たれるか、お前が三振するかやるか。」そういうと、リュウはホークスの帽子に手をかけながら頷いた。
一球目、高めのストレートを空振りした。僕は、リュウは高めの球が苦手ということを知っていた。
「ストライク!松中、空振りです。」どこかで聞いたセリフが自然と出た。
二球目、もう一度同じところに投げた。かろうじてスピードについてきたが、打球はバックネットに刺さった。僕は、リュウを追い込み、あの日のように心臓が止まりそうになることもなく三球目を投げた。
「カキーン!」ライト方向にボールが上がった。飛んだ方向を振り返ると、夕焼けとオレンジ色のボールが重なり、公園の柵を飛び越えていった。
「やったー、第55号ホームラン!」リュウは、はしゃぎながらグランドを走り始めた。僕はうなだれるピッチャーを演じ、リュウが一周するまでそこに佇んでいたが、心は笑っていた。
「王監督の記録に並びました!」どこで覚えてきたのか、リュウは偉大な記録の知識をひけらかし、三人は公園を後にした。
「なんで55号なんだよ。」僕が帰り道、カラーバットでお尻を突っつきながら聞くと「公園で野球を始めてから柵を55回こえたんだよ。」と威張って答えた。リュウは夏休みの間、僕がいない普通の日も友達と秘密練習をやっていて、シーズン本塁打記録を数えていたらしい。「パパの球なんて、簡単に打てるね。パパ本気だったでしょ。」そう言いながら振り返り、満面の笑顔を見せた。得意げな言い方に少しイラついたが、とても暖かい気持ちになった。
「でも知ってるか。パパはお前ぐらいの時、その王監督から三球三振取ったことがあるんだぞ。凄かろ。」僕は、リュウに目配せをした。リュウは何のことか分からずに、家に向かって走り始めた。だんだん小さくなる背中が、夏よりも確かに一回り大きく見えた。